反強磁性トンネル磁気抵抗効果と
コヒーレント量子輸送
トンネル磁気抵抗効果
現代のエレクトロニクスを支える技術の一つとして、電源を切っても情報が保持される不揮発性メモリーである、磁気抵抗メモリ(magnetoresistive random access memory, MRAM)があります。MRAMにはスピントロニクスにおける代表的な物理現象の一つであるトンネル磁気抵抗(tunnel magnetoresistance, TMR)効果が利用されています。
TMR効果は、磁性金属/絶縁体/磁性金属からなる接合系:磁気トンネル接合系(magnetic tunnel junction, MTJ)において見られる現象です。MTJに電圧を印加することを考えます。絶縁体単独では電流は流れませんが、MTJにおいては量子力学的なトンネル効果により電流が流れます(量子力学の最初のほうで学ぶ、矩形ポテンシャル中のトンネルを想像してもらうと分かりやすいです)。このトンネル電流の電気抵抗値が磁性金属の持つ磁気モーメントの相対向きの変化によって変化する、という現象がTMR効果です。
例えば強磁性金属/絶縁体/強磁性金属からなるMTJを考えます。そして下図のように、二つの強磁性金属層の持つ磁気モーメントが互いに平行、あるいは反平行である二つの状態が実現したとします。ここで、平行配置のときは低抵抗で(トンネル電流が流れやすい)、反平行配置のときは高抵抗(トンネル電流が流れにくい)というように、二つの配置間で抵抗値に差が生じたとき、TMR効果が実現しています。先に述べたMRAMは、この低抵抗(R(P))/高抵抗(R(AP))の状態が0/1のbitに対応することで情報記憶素子としての役割を担っています。なお、TMR効果あるいはMTJの評価指標の一つとして、二つの状態間の抵抗差(R(AP)-R(P))/R(P)で定義されるTMR比(optimistic TMR ratio)があります。例えば外部擾乱に対する強さなど、もちろんこれ以外にもMTJの評価指標は考えられますが、TMR比という観点では、この値が大きいほど性能が良いということになります。
TMR効果は1975年にJulliereによってFe/Ge/Co系で観測されたことに端を発します[1]。当時は低温でのみ観測される現象であると考えられていましたが、90年代にAl2O3を絶縁体層に用いたMTJで室温でのTMR効果が観測され[2]、さらに2000年代に入りFe/MgO/Fe系において室温で約200%のTMR比が観測されるなど[3]、21世紀初頭あたりから急速な発展が見られています。その後CoFeB/MgO/CoFeB系[4]やCoFe/MgO/CoFe系[5]で室温で600%を超えるTMR比も観測されるなど、性能は更なる高まりを見せています。
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磁気トンネル接合(MTJ)、およびトンネル磁気抵抗(TMR)効果の模式図。MTJのメインとなる部分のみを取り出して描いており、実際のデバイスはもっと多数の層から構成されています。矢印は磁性層の持つ磁化を表しています。
反強磁性体を用いたTMR効果の実現
Phys.orgやEurekAlert!、UTokyo FOCUSでも取り上げられました。
上に挙げたようなFe, Co, CoFeBやその他強磁性Heusler合金など、TMR効果の研究は強磁性金属を用いて展開されてきました。ここで私たちは、強磁性金属を反強磁性金属で置き換えてTMR効果を実現することはできるだろうか?ということを考えました。この、反強磁性体を用いたTMR効果を扱うことそれ自体が、新たな基礎物性の開拓と捉えることができます。実際、スピンと電荷という電子の二つの自由度を扱うスピントロニクスはこれまで主に強磁性体を舞台に発展してきましたが、近年は反強磁性体にもその舞台を広げ、いまは反強磁性スピントロニクスとして、決して強磁性体を反強磁性体に単純に置き換えただけではない、新たな学理を確立しつつあります。
また、TMR効果において反強磁性体を用いることは、MRAMなどへの応用という観点においてもメリットがあります。ここでは大きく分けて以下の二つの点を紹介します。一つは反強磁性体の漏れ磁場の少なさです。強磁性体はマクロに磁化を有することから、その強磁性体が作り出す磁場が磁性体外に漏れ出てしまいます。この漏れ出た磁場が隣接する素子と干渉し、性能低下を引き起こしてしまう虞があるため、デバイス化の際に磁性体を高密度に集積することが難しくなってしまいます。一方反強磁性体は、マクロには磁化が消失しているため、強磁性体では存在していた漏れ磁場が少なく(理想的にはゼロに)なります。したがって、反強磁性体を用いれば高密度に集積したデバイスを作製することができると期待されます。もう一つは、反強磁性体の高速動作性です。強磁性体の磁気共鳴周波数はおおよそ異方性磁界に比例し、多くはGHz程度の共鳴周波数、時間に直すとナノ秒程度での動作性能を持ちます。その一方で、反強磁性体の磁気共鳴周波数はおおよそ異方性磁界と交換結合(磁気モーメント間の相互作用)の積によって決まります。交換結合は一般に異方性磁場よりも大きいエネルギースケールであることから、共鳴周波数を大きく引き上げ、結果として共鳴周波数はTHz帯、すなわちピコ秒での動作も視野に入るようになります。
しかし、強磁性TMR効果が二つの磁性金属層の持つ磁気モーメントが平行・反平行な状態間で生じていたことを思い起こすと、TMR効果を生むにはマクロなスピン偏極が重要であるように思われます。すなわちナイーブな予想としては、マクロに磁化が補償している反強磁性体を用いてTMR効果を実現することは困難であるように思われます。そのような中私たちは、反強磁性体Mn3Snに着目しました。私たちのグループは、Mn3Snは異常Hall効果[6]や異常Nernst効果[7]など、反強磁性体でありながら強磁性体と同様の応答を示すことを観測してきました。Mn3Snは室温で(anti)chiralな磁気秩序状態をとりますが、この磁気秩序状態は、Mn3Snの単位胞中の六つのMnの磁気モーメントにより作られる、クラスター磁気八極子モーメントの強的秩序状態としても捉えられることが知られています[8]。このクラスター磁気八極子モーメントは、対称操作に対し、強磁性体の秩序変数である磁気双極子モーメントと同じ振る舞いをすることから、その強的秩序状態を持つMn3Snは強磁性体と同様の応答が示すことが期待されます(実際、Suzuki論文[8]では異常Hall効果をクラスター磁気八極子の観点から理解することができることが提案されています)。このような背景から、Mn3Snを用いれば反強磁性体でも強磁性体と同様にTMR効果が生じるのではないか、と予想されます。すなわち、磁気モーメントが平行・反平行な状態間で電気抵抗に差が生じる強磁性TMR効果と同様に、クラスター磁気八極子モーメントが平行・反平行な状態間で電気抵抗に差が生じる、反強磁性TMR効果を実現することができるのではないかと期待されます(*)。
そこで私たちは、Mn3Snを用いたMTJである、Mn3Sn/MgO/Mn3Sn接合系の作製を行いました。そしてこの系に対し室温で磁場を掃引してクラスター磁気八極子モーメントの向きを制御しながら電気抵抗測定を行い、クラスター磁気八極子モーメントの向きが平行・反平行の状態間でトンネル抵抗に差が生じること、すなわち、反強磁性TMR効果を観測することに成功しました(下図)[9]。
反強磁性TMR効果の研究、とくに実験研究は始まったばかりではありますが、同時期に反強磁性体Mn3Ptを用いたTMR効果の観測が別のグループによって行われるなど[10]、世界的にも注目が集まっている話題です。反強磁性TMR効果の研究は、私たちの研究を契機に今後ますます広がっていくものと期待されます。
(*) もう少し詳細に述べると、時間反転操作を行うと磁気モーメントが一斉に反転するので、強磁性体では明らかに反転前のもとの状態とは重なり合わない、時間反転対称性が破れた状態が実現しています。一方多くの反強磁性体では、時間反転操作後に空間対称操作(並進・空間反転)を行うことによってもとの状態と重なる、広義の時間反転対称性が保たれた磁気秩序状態が実現しています。このような反強磁性体においては、先の"ナイーブな予想"は当てはまり、TMR効果は現れません。ただ、Mn3Snをはじめとした特定の磁気構造を持つ反強磁性体では、時間反転操作を行うとどのような空間対称操作をもってしてももとの状態と重ならない、マクロに時間反転対称性が破れた磁気秩序状態が実現しており、この点で強磁性体と共通しています。このような種類の反強磁性体においては強磁性体と同様の応答が現れてよいことが近年提案されており、TMR効果も現れてよいと考えられます[11]。先に述べたクラスター磁気八極子モーメント、あるいはクラスター磁気多極子モーメントは、こういった、マクロに時間反転対称性が破れた反強磁性体の磁気構造の有効な記述法となっています。
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(a) Mn3Sn/MgO/Mn3Sn-MTJの模式図。
(b) 電気抵抗の磁場依存性。磁場掃引により、Mnイオンの各磁気モーメントの向きが変化することで、図上部の矢印で示したようにクラスター磁気八極子の平行・反平行状態が切り替わり、それに伴って抵抗値に変化が生じています。
(図はプレスリリース記事 (https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2023/8241/) より引用。)
これから:反強磁性体を用いたコヒーレントな量子トンネルの開拓
私たちは、反強磁性体を用いて有限のTMR効果を得るという、新しいタイプの TMR 効果を実現することに成功しましたが、今回得られたTMR比は約2%であり、反強磁性MTJを応用技術に利用していくためにはTMR比を強磁性TMRで得られていたものと同程度の大きさまで引き上げていくことが望まれます。TMR比を大きくするための一つの鍵として、バリア層中を電子の波動関数がその対称性を保って伝導する、コヒーレントな量子トンネルがあります。先に述べたFe/MgO/Fe系における大きなTMR比の観測は、エピタキシャル成長により高品質なMTJが作製された結果コヒーレントな量子トンネルが実現したことによるものである、と考えられています(**)。
そこで我々は微細加工技術を発展させることで、コヒーレントな量子輸送をより高い水準で実現する、大きなTMR比を有する高品質なMTJ素子の作製に現在取り組んでいます。もちろんこの取り組みは応用上の側面だけでなく、反強磁性体を用いたTMR効果・反強磁性体を用いたコヒーレントな量子トンネルという、物性物理の基礎となる部分に、実験により直接アプローチすることにも繋がります。
また、反強磁性TMR効果におけるコヒーレント量子トンネルの学理開拓のため、実験のみならず、第一原理計算やモデル計算などを基にした理論的な考察も進めています。
(**) FeのFermi準位近傍に存在するmajority (~up) spinのバンドに、波動関数がΔ1対称性という対称性を持つものが存在します。このΔ1対称性を持つバンドは、波動関数が他の対称性(Δ2, Δ5)を持つ電子と比べてMgO中での減衰率が低いことが分かっています。したがってこのΔ1バンドが主にトンネル伝導に寄与すると考えられます。さて平行・反平行配置のそれぞれの場合について考えると、平行配置の場合は、二つのFe層が同じ状況になっているため、両者のΔ1バンドはmajority spinによって占有されており、Δ1バンドの電子が透過できます(透過した電子の行き先が存在しています)。一方反平行配置では、二つのFe層でmajority/minority spinの状況が入れ替わっています。すなわち、一方のFe層のΔ1バンドはmajority (~up) spin、もう一方のFe層のΔ1バンドはminority (~down) spinによって占有されています。したがって透過した電子の行き先が存在せず、透過率が低くなると考えられます。このような理由によって、Fe/MgO/Fe系での高TMR比が実現すると考えられています。
理論的にはいま述べたように考えることができますが、このような状況はコヒーレントな量子トンネルが起こること、すなわち波動関数の対称性が保たれたまま電子がトンネルすることによって得られるものです。電子が散乱されて波動関数の対称性が変化してしまう・スピン反転が起こってしまうと、majority/minority spinが混ざり合ったり、異なる対称性の波動関数が混ざりあったりしてしまい、上の議論は成り立たなくなってしまいます。つまり、高TMR比が失われてしまいます。
[1] M. Julliere, Phys. Lett. 54A, 225 (1975).
[2] T. Miyazaki and N. Tezuka, J. Magn. Magn. Mater. 139, L231 (1995); J. S. Moodera et al., Phys. Rev. Lett. 74, 3273 (1995).
[3] S. S. P. Parkin et al., Nat. Mater. 3, 862 (2004); S. Yuasa et al., Nat. Mater. 3, 868 (2004).
[4] S. Ikeda et al., Appl. Phys. Lett. 93, 082508 (2008).
[5] T. Scheike et al., Appl. Phys. Lett. 122, 112404 (2023).
[6] S. Nakatsuji, N. Kiyohara, and T. Higo, Nature 527, 212 (2015).
[7] M. Ikhlas, T. Tomita et al., Nat. Phys. 13, 1085 (2017).
[8] M.-T. Suzuki, T. Koretsune, M. Ochi, and R. Arita, Phys. Rev. B 96, 094406 (2017).
[9] X. Chen, T. Higo, K. Tanaka et al., Nature 613, 490 (2023).
[10] P. Qin et al., Nature 613, 485 (2023).
[11] D.-F. Shao et al., Nat. Commun. 12, 7061 (2021).; L. Šmejkal et al., Phys. Rev. X 12, 011028 (2022)..
[12] W.-H. Butler et al., Phys. Rev. B 63, 054416 (2001); J. Mathon and A. Umerski, Phys. Rev. B 63, 220403 (2001).
研究ハイライト
Tunneling magnetoresistance and spin-orbit torque magnetization switching in ferrimagnetic Gd-Fe-Co based magnetic tunnel junction
M. Yunokizaki, Y. Hibino, H. Idzuchi, H. Tsai, M. Ishibashi, S. Miwa, M. Hayashi, S. Nakatsuji, Jpn. J. Appl. Phys. 64, 010904 (2025).
Spin–orbit torque magnetization switching is studied in three-terminal magnetic tunnel junctions with a ferrimagnetic Gd-Fe-Co free layer. Pt is used as a spin current generation layer and a Co-Fe-B synthetic antiferromagnet is used as the reference layer. A thin Fe-B layer is inserted between the Gd-Fe-Co free layer and the MgO barrier. The thickness of the Fe-B layer is varied from 4 to 12 Å. We find the tunnel magnetoresistance ratio increases with increasing Fe-B layer thickness until it saturates at ∼14%, while the current density needed to reverse the magnetization of the Gd-Fe-Co/Fe-B layer via spin–orbit torque remains almost unchanged. The results highlight the effectiveness of the thin Fe-B layer in obtaining sizable tunneling magnetoresistance and efficient spin–orbit-torque switching.
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